SaaSの売上は、新規顧客の獲得だけでなく、既存顧客の契約が広がることでも伸びます。上位プランへの移行を促すアップセルと、追加の機能や関連サービスを提案するクロスセルは、こうした拡大売上を生む代表的な取り組みです。既存顧客はすでにサービスの価値を知っているため、うまく設計すれば新規獲得よりも少ない手間で売上を伸ばせます。
ただし、提案のタイミングを誤ると逆効果になります。まだ十分に使いこなせていない顧客に上位プランを勧めても響かず、かえって「売り込まれた」という印象を残します。成果を安定させる鍵は、営業担当者の勘に頼らず、利用状況から「この顧客は今、次の価値を必要としている」というシグナルを見つけ、そのタイミングで提案が届く仕組みを作ることです。
この記事は、SaaSや継続課金型サービスの事業責任者、カスタマーサクセス、営業の担当者に向けて、アップセル・クロスセルの考え方、提案のタイミングを示すシグナル、料金プランとの関係、提案の仕組みづくりの手順、効果の測り方、よくある失敗を解説します。
アップセルとクロスセルの違いと、拡大売上の位置づけ
アップセルとクロスセルは、どちらも既存顧客からの売上を増やす取り組みですが、提案する中身が異なります。
| 種類 | 内容 | SaaSでの例 |
|---|---|---|
| アップセル | 同じサービスのより上位の契約に移ってもらう | 上位プランへの移行、利用人数の追加、利用量の上限の引き上げ |
| クロスセル | 関連する別の商品やサービスを追加で契約してもらう | 追加機能のオプション、別製品、導入支援や研修などのサービス |
SaaSの経営指標では、既存顧客からの売上の増減をまとめて見ることが多く、解約や縮小による減少分と、アップセル・クロスセルによる拡大分を合わせて評価します。拡大分が減少分を上回れば、新規獲得がなくても既存顧客からの売上が増える状態になります。これらの指標の見せ方はSaaS経営指標のダッシュボード設計で解説しています。
拡大売上が大切なのは、売上が増えるからだけではありません。顧客が契約を広げるのは、サービスから得る価値が大きくなっている証拠でもあります。拡大売上は、顧客がサービスに満足し、活用が深まっているかを示す指標としても役立ちます。顧客単位の長期的な価値の伸ばし方はLTVを伸ばす施策でも整理しています。
提案のタイミングが成果を左右する
アップセル・クロスセルで最も重要なのは、提案の中身よりもタイミングです。同じ提案でも、顧客が必要としているときに届けば「助かる案内」になり、必要としていないときに届けば「売り込み」になります。
顧客が次の価値を必要とするタイミングは、多くの場合、利用状況に表れます。今の契約の範囲では足りなくなってきた、新しい使い方を始めた、別の部署にも広がり始めた、といった変化です。こうした変化を利用データから捉え、提案のきっかけにするのが基本の考え方です。
逆に、提案を避けるべきタイミングもあります。導入直後で初期設定が終わっていない時期、問い合わせやトラブル対応が続いている時期、利用が減っている時期です。こうした時期に提案すると、顧客の不満を大きくするだけでなく、解約のきっかけを作ることにもなりかねません。まず活用支援や問題解決を優先し、状態が良くなってから提案します。
利用状況から見つける提案のシグナル
提案のタイミングを示すシグナルは、サービスの性質によって異なりますが、代表的なものは次のとおりです。
| シグナル | 何が起きているか | つながりやすい提案 |
|---|---|---|
| 利用量が契約の上限に近づいている | 今の契約では足りなくなりつつある | 上位プラン、上限の引き上げ |
| 利用人数が増えている、招待が続いている | 社内での利用が広がっている | 人数の追加、組織向けプラン |
| 上位プランの機能にたびたび触れている | 必要な機能が今の契約にない | 上位プランの案内、機能の試用 |
| 特定の作業を手作業や他のツールで補っている | サービスの外に課題が残っている | 関連機能のオプション、連携機能 |
| 新しい部署や拠点からの問い合わせがある | 別の用途への展開の可能性 | 別製品、部署単位の契約 |
| 主要機能を継続して使い、成果が出ている | 価値を実感している | 活用範囲を広げる提案、導入支援 |
シグナルを使うには、利用状況がデータとして記録されている必要があります。ログイン、主要機能の利用、利用量、上位プラン機能の画面表示といった行動を記録しておけば、シグナルを自動で検知できます。計測の設計はプロダクトのイベントログ設計を参考にしてください。
シグナルは過去の拡大事例から見つける
どのシグナルが有効かを知るには、過去にアップセル・クロスセルが成立した顧客の利用状況をさかのぼって調べるのが近道です。契約を広げた顧客が、その前の数か月にどんな使い方をしていたかを、広げなかった顧客と比べます。たとえば、拡大した顧客の多くが直前に利用人数を増やしていたなら、利用人数の増加は有力なシグナルです。営業やカスタマーサクセスの担当者の経験も、仮説を立てる材料として役立ちます。
料金プランの設計とアップセルの関係
アップセルのしやすさは、料金プランの設計に大きく左右されます。プラン間の違いが分かりにくい、上位プランへの移行で費用が急に跳ね上がる、といった設計では、顧客が必要を感じても移行をためらいます。
アップセルしやすい料金設計のポイントは次のとおりです。
- プランの違いが利用の成長に沿っている:利用人数、利用量、組織の規模など、顧客の成長に合わせて自然に上位プランが必要になる区切りにする。
- 上位プランの価値が具体的に分かる:機能の一覧ではなく、上位プランで何ができるようになるかを、利用場面で説明する。
- 移行の手続きが簡単:管理画面から移行できる、日割りで切り替えられるなど、手続きの負担を小さくする。
- 試せる仕組みがある:上位プランの機能を一定期間試用できると、価値を実感してから判断できる。
一方で、料金プランの変更は既存顧客に大きな影響を与えます。既存の契約を変える場合は、変更の理由と、顧客にとっての影響を丁寧に説明する必要があります。料金改定の影響の測り方は値上げ・料金改定の影響を測る方法で解説しています。
クロスセルで提案する商品の選び方
クロスセルでは、何を組み合わせて提案するかが成果を左右します。選ぶときの基準は、顧客が今のサービスを使う中で「次に困ること」に応えられるかどうかです。たとえば、請求書の発行を管理するサービスを使っている顧客は、次に入金の確認や催促の作業で困ることが多いでしょう。その課題に応える機能や関連サービスは、顧客にとって自然な次の一歩になります。
反対に、自社が売りたい商品を基準に組み合わせを決めると、顧客の課題とのつながりが弱く、提案が響きません。カスタマーサクセスへの問い合わせ内容や、顧客がサービスの外で手作業をしている業務を調べると、次に困ることの手がかりが見つかります。
導入支援や研修といったサービスのクロスセルも有効です。機能が増えても使いこなせなければ価値は生まれません。上位プランへの移行と同時に、新しい機能の使い方を説明する場を提案すると、移行後の定着を助け、拡大後の継続にもつながります。
BtoBでは社内での広がりを支援する
BtoBのSaaSでは、最初は一つの部署やチームで導入され、成果が出ると別の部署に広がる、という形で契約が拡大することがよくあります。この広がりを後押しするには、最初に導入した部署の担当者が社内で成果を説明しやすいよう、利用の成果をまとめた資料や、他部署向けの紹介資料を用意することが有効です。担当者が社内の推進役になれるよう支援することが、結果として大きなアップセルにつながります。
アップセル・クロスセルを仕組みで提案する手順
営業担当者の個人の力量に頼る提案は、担当者によって成果がばらつき、担当者が辞めると続きません。シグナルの検知から提案、結果の記録までを仕組みにする手順を示します。
- 過去の拡大事例を分析する:アップセル・クロスセルが成立した顧客の、成立前の利用状況を調べ、共通するシグナルの候補を挙げる。
- シグナルを定義する:「利用量が上限の一定割合を超えた」「30日間で利用人数が増えた」など、データで判定できる条件に落とし込む。
- 提案を避ける条件も定義する:導入から一定期間内、未解決の問い合わせがある、利用が減少している、といった除外条件を決める。
- 提案の方法を決める:シグナルごとに、製品内の案内、メール、担当者からの連絡のどれで提案するかを決める。契約規模の小さい顧客は製品内の案内やメール、大きい顧客は担当者の連絡、のように分ける。
- 担当者に知らせる仕組みを作る:シグナルを検知したら、CRMにタスクを作る、担当者に通知するなど、提案が漏れない流れを作る。
- 結果を記録する:提案した日、方法、顧客の反応、成立の有無を記録する。
- シグナルと提案を見直す:提案に対する成立の割合をシグナルごとに比べ、効果の低いシグナルや提案方法を改善する。
手順3の除外条件は、見落とされがちですが重要です。シグナルが出ていても、顧客が困っている最中に提案すれば逆効果になります。カスタマーサクセスの担当者が持つ情報と、利用データの両方を使って判断できるようにしておきましょう。
製品内の案内とメール、担当者の連絡の使い分け
製品内の案内は、顧客が実際にその機能を必要とした瞬間に表示できるのが強みです。たとえば、利用量の上限に達したときに上位プランの案内を出す、上位プランの機能を開こうとしたときに試用を案内する、といった方法です。ただし、頻繁に表示すると操作の妨げになるため、表示の回数やタイミングには配慮が必要です。
担当者からの連絡は、契約の規模が大きく、顧客の社内で検討や承認が必要な場合に向いています。担当者は利用状況のデータを手元に用意し、「最近こうした使い方が増えているので、この機能が役立つかもしれません」と、顧客の状況に即して提案します。
架空の例:プロジェクト管理SaaSでの拡大売上の設計
たとえば、中小企業向けのプロジェクト管理SaaSで、上位プランへの移行は営業担当者が気づいたときに個別に提案していたとします。提案の成果は担当者によって大きく異なり、担当者が多忙な月は提案自体がほとんど行われていませんでした。
過去に上位プランへ移行した顧客を調べると、移行の直前に「利用人数が契約時から増えている」「上位プランの機能であるガントチャートの画面を何度も開いている」という共通点が見つかりました。そこで、この二つの条件を満たし、導入から一定期間が経ち、未解決の問い合わせがない顧客をシグナルとして自動で抽出し、カスタマーサクセスの担当者に毎週一覧で届ける仕組みを作りました。小規模な顧客には、ガントチャートを開いたときに上位プランの試用を案内する表示を出すようにしました。
提案の結果はCRMに記録し、毎月シグナルごとの成立の割合を確認します。成立の割合が低いシグナルは条件を見直し、新たな候補を試していきます。
効果の測り方と見るべき指標
アップセル・クロスセルの効果は、売上の増加だけでなく、顧客の状態への影響も含めて評価します。
- 拡大売上の金額:一定期間に、アップセル・クロスセルで増えた月額の合計。
- 提案に対する成立の割合:シグナルごと、提案方法ごとに比べる。
- 提案から成立までの期間:検討に時間がかかっている提案を見つける。
- 拡大後の継続状況:上位プランに移った顧客が、その後も継続しているか、元のプランに戻っていないか。
- 提案後の顧客の反応:提案をきっかけにした不満や問い合わせが増えていないか。
特に拡大後の継続状況は重要です。無理な提案で上位プランに移ってもらっても、価値を感じられずに元のプランに戻る、あるいは解約されてしまえば、かえって損失になります。拡大した顧客の継続率を、拡大しなかった顧客と比べて確認しましょう。
これらの指標は、提案の担当者を評価するためだけでなく、仕組みを改善するために使います。たとえば、成立の割合は高いのに拡大後に元のプランへ戻る顧客が多いシグナルがあれば、そのシグナルは「一時的な利用の増加」を拾っている可能性があります。シグナルの条件に「一定期間以上続いている」という要件を加えるなど、条件を見直すきっかけになります。月に一度、シグナルごとの成立の割合と拡大後の継続状況を並べて確認する場を設けると、改善が回り始めます。
よくある失敗とその避け方
全顧客に一斉に提案する。 シグナルを見ずに全顧客へ上位プランの案内を送ると、必要としていない顧客には売り込みとして受け取られます。提案はシグナルが出た顧客に絞りましょう。
営業目標だけで提案を増やす。 拡大売上の目標を設定すること自体は有効ですが、提案の件数だけを追うと、提案を避けるべき顧客にまで提案が行われます。除外条件を守っているか、拡大後の継続状況はどうかも合わせて評価します。
活用支援より先に提案する。 今の契約の範囲で十分に使いこなせていない顧客には、まず活用を支援することが先です。活用が進めば、自然と次の価値が必要になり、提案が受け入れられやすくなります。カスタマーサクセスの指標の考え方はカスタマーサクセスのKPIで解説しています。
提案の結果を記録しない。 どのシグナルで、どの方法で提案し、どうなったかを記録しないと、改善のしようがありません。提案と結果の記録をCRMなどに残す運用を最初から組み込みましょう。
アップセル・クロスセル設計のチェックリスト
- 過去に拡大した顧客の利用状況を分析し、シグナルの候補を挙げた
- シグナルをデータで判定できる条件として定義した
- 提案を避ける条件(導入直後、トラブル対応中、利用減少中など)を決めた
- 顧客の規模や状況に応じて提案の方法を使い分けている
- シグナルを検知したら担当者に知らせる仕組みがある
- 提案と結果を記録し、シグナルごとの成立の割合を見ている
- 拡大後の継続状況を確認している
- 料金プランの違いが、顧客の利用の成長に沿っている
よくある質問
Q. アップセルとクロスセル、どちらから取り組むべきですか?
料金プランが利用量や人数で段階的に分かれているなら、利用の成長に沿ったアップセルから取り組むのが自然です。関連する製品やオプションが複数ある場合は、利用データから補いたい課題が見えている顧客へのクロスセルも有効です。過去の拡大事例が多い方から始めると、シグナルを見つけやすくなります。
Q. 利用データが十分に取れていない場合はどうすればよいですか?
まずは、ログイン、主要機能の利用、利用量など、提案のシグナルになりそうな最低限の行動を記録することから始めます。データが整うまでの間は、カスタマーサクセスや営業の担当者が定例の打ち合わせで得た情報をCRMに記録し、提案のきっかけとして活用します。
Q. 提案の担当はカスタマーサクセスと営業のどちらがよいですか?
組織の体制によりますが、顧客の利用状況を最もよく知っているのはカスタマーサクセスであることが多いものです。シグナルの検知と提案のきっかけ作りはカスタマーサクセスが担い、契約の交渉や大きな提案は営業に引き継ぐ、という分担がよく見られます。重要なのは、責任の分担を明確にし、提案が漏れない仕組みにすることです。
Q. 製品内の案内は顧客に嫌がられませんか?
必要としていない顧客に繰り返し表示すると嫌がられます。上限に達したとき、上位プランの機能を開こうとしたときなど、顧客が必要とした瞬間に限定し、表示の回数にも上限を設けることで、役立つ案内として受け取られやすくなります。
Otsumuに相談できること
拡大した顧客の数がある程度あり、利用データもCRMも整っているなら、シグナルの分析と提案の仕組みづくりは社内でも進められます。この記事の手順に沿って、過去の拡大事例の分析から始め、まず一つのシグナルと一つの提案方法で試してみてください。小さく試して成立の割合を確かめることが、仕組みを広げる最も確実な方法です。
一方で、利用データの記録が不十分でシグナルを定義できない、料金プランの設計自体を見直す必要がある、シグナルの検知からCRMへの連携まで仕組みを作りたい、といった場合は、外部の力を借りると早く進みます。拡大売上は、プロダクト、料金、カスタマーサクセス、営業がまたがる領域で、部門をまたいだ設計が成果を左右するためです。
OtsumuのKPI改善コンサルティングでは、拡大売上の指標整理から、シグナルの分析、提案の仕組みと運用の設計、効果の検証までを一緒に進めます。シグナルの自動検知やCRMとの連携、製品内の案内の実装が必要な場合は、SaaS開発やCRM開発として、目的に必要な機能に絞って開発を支援します。
既存顧客からの売上を伸ばす余地がどこにあるかを知りたいとお考えなら、30分の無料相談で、料金プランと顧客の利用状況を伺い、最初に試すべき施策を一緒に整理します。
この記事のテーマに最も近い支援は、継続率・CVR改善の実行支援です。
- 離脱箇所と解約の理由を、データで特定
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この記事について
Otsumu株式会社が執筆しました。統計値や他社の事例には依拠せず、進め方と判断の枠組みを中心にまとめています。法務・税務・会計などの制度は、専門家や公的窓口で最新の情報をご確認ください。
執筆:Otsumu株式会社 / 編集日 2026.10.01