バーティカルSaaSとは、特定の業界の業務に特化して作られたSaaSのことです。会計や勤怠、チャットのように業界を問わず使われる汎用的なSaaS(ホリゾンタルSaaS)に対して、介護、建設、物流、飲食、医療、不動産といった特定の業界の業務の流れや規則、商習慣に深く合わせて作られている点が特徴です。
バーティカルSaaSで新規事業を考えるときの勝ち筋は、「汎用ツールでは表現しにくい、その業界ならではの業務」を見つけ、そこに深く入り込むことにあります。市場の大きさでは汎用SaaSに及ばないことが多い一方、業界の言葉で語り、業界の業務に自然に合う仕組みを作れれば、乗り換えられにくく、周辺の業務へと広げていける事業になり得ます。そして、その深さを作るうえで最大の武器になるのが、業界の実務を知っていることです。
この記事は、自社が身を置く業界の知見を活かしてSaaS事業を立ち上げたい事業会社の経営者や新規事業担当者、業界向けの事業機会を探している方に向けて書いています。バーティカルSaaSの勝ち筋、事業機会の見つけ方、参入の判断基準、検証の手順までを整理します。
バーティカルSaaSとホリゾンタルSaaSの違い
まず、業界特化型と汎用型の違いを整理しておきます。どちらが優れているということではなく、事業の作り方と戦い方が異なります。
| 観点 | バーティカルSaaS(業界特化) | ホリゾンタルSaaS(汎用) |
|---|---|---|
| 対象顧客 | 特定業界の企業 | 業界を問わず多くの企業 |
| 価値の源泉 | 業界特有の業務・規則・商習慣への適合 | 多くの企業に共通する業務の効率化 |
| 市場の広さ | 業界の範囲に限られる | 広い |
| 販売の進め方 | 業界団体、展示会、業界内の紹介など、業界内のつながりが効く | 広告やウェブでの集客が中心になりやすい |
| 製品の作り方 | 業界の用語・帳票・業務フローに合わせる | 設定で多様な使い方に対応する |
| 事業の広がり方 | 同じ顧客の周辺業務へ機能を広げる、決済や仕入れなど周辺サービスを加える | 同じ機能をより多くの顧客へ広げる |
また、業界特化であることは、顧客の獲得にかかる手間の性質も変えます。汎用SaaSは広く浅く顧客を集める工夫が中心になりますが、バーティカルSaaSでは、業界内の評判や紹介が積み重なるほど次の顧客を得やすくなる一方、最初の数社で評判を落とすと挽回に時間がかかります。最初の顧客を丁寧に支えることが、そのまま販売の土台になります。
バーティカルSaaSの特徴として押さえておきたいのは、事業の広がり方です。汎用SaaSが「同じ機能を多くの会社へ」広げるのに対し、バーティカルSaaSは「同じ業界の顧客に、より多くの業務を」広げていく傾向があります。たとえば、ある業界の予約管理から始めて、顧客管理、請求、仕入れ、人員配置へと、業界の業務を順番に取り込んでいく形です。
バーティカルSaaSの勝ち筋:4つの源泉
バーティカルSaaSが汎用ツールや他の参入者に対して優位を築く源泉は、主に次の4つです。
業界特有の業務への深い適合
業界には、外から見ると分かりにくい業務の流れや規則があります。法令で定められた記録の様式、業界団体の基準に沿った報告、取引先ごとに異なる慣習的な帳票などです。汎用ツールでこれらに対応しようとすると、利用者側で多くの工夫が必要になります。最初からこうした業務に合わせて作られていること自体が、選ばれる理由になります。
業界の言葉で語れること
業界の用語で画面が作られ、業界の言葉で営業や説明ができることは、想像以上に大きな価値を持ちます。とくに、ITに詳しくない現場の担当者が多い業界では、「自分たちの仕事を分かっている会社が作った」という信頼が導入の決め手になることがあります。
業界内のつながりと評判
業界の中では、口コミや紹介、業界団体を通じた情報が大きな影響力を持ちます。業界内で信頼されている会社が手がけるSaaSは、ゼロから信頼を築く必要がある新規参入者に比べて、最初の顧客を得やすくなります。
データと周辺業務への広がり
業界の多くの企業の業務を支えるようになると、業界の業務の流れに関する知見が蓄積し、それをもとに周辺の業務や新しいサービスへと展開できるようになります。ただし、顧客のデータの扱いには契約上・法令上の制約があるため、使い方は慎重に設計する必要があります。
バーティカルSaaSの事業機会の見つけ方
業界特化のSaaSの機会は、次のような手順で探すと、思いつきではなく根拠のある候補を見つけやすくなります。
- 業界の業務を一覧にする:対象業界の企業が日々行っている業務を、受注、計画、手配、実行、記録、請求、報告といった流れに沿って書き出します。
- 業務ごとの現在の手段を調べる:それぞれの業務が、紙、表計算ソフト、汎用ツール、業界向けの既存システムのどれで行われているかを調べます。
- 「汎用ツールで無理をしている業務」を探す:表計算ソフトで複雑な管理表を作っている、汎用ツールに業界独自の運用を無理に乗せている、といった業務は、業界特化の仕組みが価値を出しやすい候補です。
- 業務の頻度と負担を確かめる:その業務がどのくらいの頻度で発生し、誰がどれだけの時間を使っているかを、現場の担当者に聞いて確かめます。
- 決裁者と予算の所在を確かめる:その業務を改善するための費用を、誰が、どの予算から出すのかを確認します。
- 入口となる業務を一つ選ぶ:多くの業務の中から、最初に提供する業務を一つ選びます。負担が大きく、成果が分かりやすく、周辺の業務へ広げやすいものが理想です。
手順3の「汎用ツールで無理をしている業務」は、とくに有望なサインです。表計算ソフトで作られた複雑な管理表は、その業務に固有の論理が詰まっている証拠であり、それを仕組みに置き換えれば価値がはっきり伝わります。
参入を判断する基準
候補となる業界と業務が見えてきたら、参入するかどうかを次の観点で判断します。
| 判断の観点 | 確認すること | 注意したいサイン |
|---|---|---|
| 業務の痛みの深さ | 業務の負担が大きく、改善への切実さがあるか | 「あれば便利」程度の反応しか得られない |
| 業界の企業数と広がり | 同じ業務を持つ企業が十分な数あるか | 対象が数社に限られ、個別開発と変わらない |
| 支払いの意思と能力 | 業界の企業がIT投資に予算を割けるか | 業界全体の利益が薄く、月額の費用に抵抗が強い |
| 既存の選択肢 | 業界向けの既存システムの有無と、その不満 | 既存システムが十分に浸透し、乗り換えの理由が弱い |
| 規制・制度 | 法令や制度が業務にどう関わり、変わる見込みがあるか | 制度の変更で業務そのものがなくなる可能性 |
| 自社の優位 | 業界知見、顧客接点、データなどの使える資産 | 業界の外から参入し、何の足がかりもない |
市場の大きさを判断する際は、業界の企業数と、その中で対象となる規模の企業の数、そして一社あたりの利用料の見込みを掛け合わせて、大まかな見当をつけます。このとき、各数値の根拠を公的な統計や業界団体の資料で確認し、仮置きの数値はそれと分かるように記録しておきます。市場が小さく見えても、周辺業務へ広げられる余地があれば、事業としての可能性は変わります。
制度が業務に深く関わる業界では、制度の内容や今後の変更の見込みを、所管の官公庁の情報や専門家への確認で把握しておくことが欠かせません。制度の変更は業務の変化を生み、それが新しいSaaSの機会になることもあれば、既存の仕組みが不要になる原因にもなります。
自社の業界知見を活かす方法
事業会社がバーティカルSaaSに取り組む最大の利点は、業界の実務を知っていることです。この利点を活かすための具体的な方法を挙げます。
自社を最初の利用者にする:自社の業務で最初に使い、実務に耐えるかを確かめます。社内での利用を通じて、業界の現場で本当に必要な機能と不要な機能を見極められます。社内システムを外販する場合の論点は社内の業務ノウハウをSaaSとして事業化する進め方で詳しく扱っています。
業界のつながりで最初の顧客を得る:取引先、同業の知人、業界団体のつながりを使い、最初の数社に試験的に使ってもらいます。業界内で信頼されている立場は、新規参入者にはない強みです。
業界の専門家を開発の中心に置く:開発チームに、業界の実務を知る担当者を必ず加えます。画面の用語、帳票の様式、業務の順序など、細部の判断を業界の視点で行えるかどうかが、製品の質を左右します。
自社の強みと競合の関係を整理する:同業他社に販売する場合、自社の競争力の源泉まで提供してしまわないか、同業他社が競合の作った仕組みを使うことに抵抗を持たないかを考える必要があります。別会社や別ブランドで提供する、業界の共通基盤として位置づけるなど、提供の形を工夫することも選択肢です。
架空の例:地域の介護事業者向けの業務支援
ある架空の介護事業を営む会社が、自社で抱えていた業務の負担をもとに、バーティカルSaaSの事業を検討した場面を想定してみます。
この会社では、訪問介護のスタッフの訪問予定を組み、利用者の状況の変化や急な休みに応じて予定を組み替える作業に、管理者が毎日多くの時間を使っていました。予定は表計算ソフトで管理しており、スタッフの資格や利用者との相性、移動時間など、考慮すべき条件が多いため、管理者の経験に頼る部分が大きくなっていました。
担当者は、同じ地域の介護事業者数社の管理者に話を聞き、予定の組み替えの負担が共通していること、既存の介護向けシステムは記録や請求には対応していても、日々の組み替えの作業には使いにくいと感じていることを確かめました。そこで、予定の組み替えに絞った仕組みを入口とし、自社で数か月使って改善した後、話を聞いた事業者に試験提供する計画を立てました。将来的には、訪問の記録や事業者間の情報共有へと機能を広げる構想です。
試験提供の前には、利用者の個人情報やスタッフの勤務情報をどう扱うかを整理し、事業者との間でデータの取り扱いについて合意する手順も組み込みました。介護のように個人の機微な情報を扱う業界では、仕組みの便利さだけでなく、情報管理への備えが導入の前提条件になるからです。制度面の確認は、所管の窓口や専門家に相談しながら進める計画としました。
この例で入口に選ばれたのは、業界で最も知られた業務ではなく、「既存システムがあっても表計算ソフトで無理をしている業務」でした。こうした隙間を見つけられるのは、業界の実務を知る立場ならではです。
入口の業務を検証する進め方
入口となる業務を決めたら、本格的な開発の前に、その業務で本当に価値を出せるかを段階的に確かめます。業界特化の事業は、対象となる企業の数が限られている分、最初の顧客での失敗が業界内の評判に響きやすいため、検証の順序を丁寧に設計することが大切です。
第一段階:業務の観察。対象の企業を訪ね、実際の業務の様子を見せてもらいます。話を聞くだけでは分からない、紙のメモや電話での確認、担当者同士の口頭のやり取りなど、業務を支えている細かな工夫が見えてきます。表計算ソフトの管理表があれば、どんな列があり、どんな色分けや手書きの補足があるかを見せてもらうと、仕組みに置き換えるべき論理が分かります。
第二段階:手作業を交えた試験提供。最初から完成した仕組みを作るのではなく、簡単な画面と手作業の組み合わせで、業務の一部を代わりに担う形で試します。たとえば、予定の組み替え案を担当者が作って送り、顧客の反応を見るといった方法です。顧客が実際にその結果を業務に使うかどうかで、価値の有無が分かります。
第三段階:有料での小規模な提供。価値が確認できたら、少数の顧客に有料で提供します。無料の試験提供では、顧客が本気で使っているかどうかを見極めにくいためです。価格の水準と、導入にあたって顧客が求める支援の内容も、この段階で確認します。
第四段階:業界内での展開。最初の顧客での成果が見えてきたら、その成果を業界の言葉で説明できる形にまとめ、業界団体や紹介を通じて展開します。この段階で、導入支援やサポートの手順を文書化し、少人数でも多くの顧客を支えられる体制を整えていきます。
各段階の終わりには、次の段階に進む条件をあらかじめ決めておきます。「試験提供した数社のうち、半分以上が業務に使い続けている」のように、行動で判断できる条件にしておくと、期待だけで先に進むことを防げます。
よくある失敗と避け方
バーティカルSaaSの立ち上げでよくある失敗を挙げます。
- 最初から業界の業務全体を作ろうとする:業界の業務をすべて網羅しようとすると、開発が長期化し、どの業務も中途半端になります。入口となる業務を一つに絞り、深く作り込んでから広げましょう。
- 自社の業務のやり方を業界標準だと思い込む:同じ業界でも、地域や規模、顧客層によって業務の進め方は異なります。自社以外の複数の企業に話を聞き、違いを確かめてから設計します。
- 業界のIT環境を軽く見る:業界によっては、パソコンよりスマートフォンが中心、インターネット環境が不安定な現場がある、ITに不慣れな担当者が多いといった事情があります。現場の環境を見に行き、無理なく使える作りにします。
- 販売の経路を考えずに作る:業界特化のSaaSは、ウェブ広告だけでは顧客に届きにくいことがあります。業界団体、展示会、既存の取引先、業界向けの販売代理店など、業界に合った販売経路を早い段階で検討します。
- 価格を汎用SaaSの感覚で決める:業界ごとにIT投資への感覚は異なります。顧客がその業務に現在かけている時間や費用を聞き取り、それに見合う価格を設計します。
バーティカルSaaS検討のチェックリスト
事業化に進む前に、次の点を確認しましょう。
- 対象業界の業務を流れに沿って一覧にし、現在の手段を把握している
- 汎用ツールや表計算ソフトで無理をしている業務を特定している
- 自社以外の複数の企業から、その業務の負担を直接聞いている
- 業務の改善の予算を誰が決めるのかを確認している
- 入口となる業務を一つに絞り、周辺業務への広がりの見通しがある
- 業界の企業数と一社あたりの利用料の見込みから、市場の大まかな見当をつけた
- 業務に関わる制度と、変更の見込みを確認した
- 業界に合った販売経路の候補がある
- 開発チームに業界の実務を知る担当者がいる
- 同業他社に販売する場合の、自社の強みとの関係を整理した
最初の版にどの機能を入れるかの考え方は、BtoB SaaSの最初の版に入れる機能と、後回しにしてよい機能が参考になります。
よくある質問
Q. 業界の市場が小さくても事業になりますか?
業界の企業数が限られていても、一社あたりの価値が大きい業務を扱う場合や、周辺業務へ広げて一社あたりの利用料を高められる場合は、事業として成り立つ可能性があります。逆に、市場が小さく、広げられる業務も少ない場合は、投資の規模を抑えた進め方を検討するのが賢明です。
Q. 既存の業界向けシステムがある場合、参入の余地はありますか?
既存システムがあっても、特定の業務には対応しきれていない、使い勝手に不満がある、といった隙間はよくあります。既存システムを置き換えるのではなく、既存システムと連携して足りない業務を補う形で入る方法もあります。
Q. 業界知見のない会社でもバーティカルSaaSに参入できますか?
可能ですが、業界の実務を知る人材を仲間に加える、業界の企業と組んで共同で開発する、といった形で知見を補う必要があります。知見がないまま外から作ると、業界の現場に合わない仕組みになりやすいからです。
Q. 開発費はどのくらいを見込めばよいですか?
扱う業務の範囲、他システムとの連携、データの分け方、権限の設計などによって大きく変わります。入口の業務に絞った最初の版と、その後の拡張を分けて見積もることが大切です。費用の決まり方はSaaS開発の費用と期間で詳しく扱っています。
Otsumuに相談できること
業界の実務を知る担当者がいて、業界のつながりを通じて複数の企業に話を聞ける場合は、この記事の手順に沿って、入口となる業務の特定と顧客の声の確認までは自社で十分に進められます。自社を最初の利用者として小さな仕組みを試すところまでなら、既存のツールの組み合わせで足りることもあります。
一方で、業界の知見はあるが事業として成り立つかの判断がつかない、入口の業務をどこにすべきか迷っている、SaaSとして作る開発体制が社内にない、といった状況では、事業と開発の両面から伴走できる外部の力を借りたほうが、無駄な開発を避けられます。
Otsumuは自らも事業を手がける立場から、業界の業務の中から事業機会を見つけ、顧客検証で確かめ、必要な機能に絞ってAIを活用した短期間の開発で形にするまでを一気通貫で支援します。新規事業開発コンサルティングでは事業機会の整理と検証の設計を、SaaS開発では業界特化の仕組みの開発をお手伝いしています。最初の版を短期間で作って検証する段階では、PoC / MVP Sprint(300万円〜・税別・参考価格、6週間を目安に設計)という形でもご相談いただけます。
業界のどの業務に機会がありそうか、壁打ちしたいという段階でも構いません。まずは30分の無料相談でお聞かせください。
この記事について
Otsumu株式会社が執筆しました。統計値や他社の事例には依拠せず、進め方と判断の枠組みを中心にまとめています。法務・税務・会計などの制度は、専門家や公的窓口で最新の情報をご確認ください。
執筆:Otsumu株式会社 / 編集日 2026.10.01